名もなき花を愛でる行為に名前は必要なのだろうか

タイトルはなんとなくお風呂に入って思ったことです。
深い意味はありません。

私の執筆の師は、「アウトプットするにはインプットすることも必要」と教えてくれました。
そういう意味で言うなら、最近はインプットの日々を過ごしています。

最近の私は、自分のツイッターアカウントの過去のツイートを読むということをしています。
これがなかなか面白いやら懐かしいやら。
逆に、あの頃の自分に今の自分の行動一つ一つが果たして想像できるだろうか……なんて思います。
昔私は電子タバコの愛飲者でしたが、今となっては本物の愛煙者となっている。

昔のことなのに忘れてることも多々あって、そんなことあったかなぁと思考を巡らせたりしています。

私が所持しているツイッターのアカウントはいくつかあるのですが、最も古株のアカウントは2009年11月に作成されていました。そのとき私はまだ大学2年生をしていました。
まさに、ツイッターに我が歴史あり、ですね。
その頃仲良くしていたネット上の友人が先日結婚・妊娠をしたと風のうわさで聞きました。

皆さんもきっと所持しているツイッターのアカウント。
たまには過去の自分に思いを馳せてみてはいかがでしょう?

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