忘れていた感情

劇団やりたかった(桃太郎パンフ)

去る、26日(金)にとある演劇を見てきました。劇団やりたかったさんの「犬猿雉と桃太郎たち」と言うものです。この劇団には、普段写真の被写体をお願いしている元永あか莉さんが所属しています。そして、この日この回の公演は彼女が初座長・初主役を務めるとのこと。

ストーリーは、桃太郎が鬼ヶ島へ鬼退治に向かう前。実は幼少の桃太郎は村一番の弱虫。そんな彼の夢は「鬼ヶ島へ鬼退治」。だけど、誰一人信じず、またそんな夢を語る桃太郎を笑っていた。桃太郎も流されやすい性格で、周囲に言われるがままに生きようとする。そう「当たり障り」なく「普通」に。そんな桃太郎が夢を叶えるために犬猿雉があの手この手でけしかける。そんな内容。

私はこの演劇を2つの目線で見ていた。1つは「年をとったおじさんの目線」、もう1つは「若々しく青臭いお兄さんの目線」。

まずは前者。これはただただ若いって素晴らしいなと言うものだ。エネルギッシュで、若くて、青臭くて、失敗しても大丈夫、なにも怖いものなど無い。そんな気持ち。いつしか自分はそんな若い気持ちを失い、羨ましいと思うようになっていた。

でも、まだまだ自分も若い(きっと)。「できないことを考えるより今何ができるかを」考えよう。まだまだ青臭く泥臭く生きたい、そんな後者の気持ち。自分で、できるできないの線を引くのは簡単だ。諦めるのも簡単だ。でも、だからこそ、続けること、夢を追いかけることがかっこいいし、凄いんだろう。

今まで幾人もの「普通の」生き方を選んだ人間を見てきた。そして、自分もそうなりつつあった。しかし、この演劇を見て、夢を追いかける生き方をしたいと思った。まだまだ老け込むには早すぎる。そんな「若さ」を注入された気がした。

最後にちょっと持論を。「創作や表現をする人って変人しか居ないんだ」と思う。これは別にバカにしているつもりはない。何が言いたいかと言えば、人と違うから魅力があるんだと思う。カリスマ性と言う言葉を使うこともある。人は人(や自身)と違うところ、無いところに魅力を感じると思っている。それが、カリスマ性とも言える。なので、創作や表現をする人は、人と違う。違って当然なのだ。むしろ、違うから魅力的なんだ。
「普通」の側から見たら「変人」に見える。それがこの段の冒頭の言葉の意味である。なので、私は常日頃から「変人」でありたいと思っている。人と違って何が悪い。人と同じじゃ面白くない。

最後になったが、あか莉さん、初主演・初座長本当にお疲れ様でした。とても素敵な演劇をありがとうございました。演じている貴女の顔はとても輝いていましたよ。今度はその表情もカメラに収められるように私も精進したいと思います!そう思わせてくれてまた、ありがとう。

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