大人になるということ

最近ふと考えたんです。「大人になるってなんだろう」って。大人を成人と定義するなら、法的には(この記事を公開した時点で)20歳ですね。今回話題にするのは法的な話ではなく、精神と言うか考え方の話です。
あ、ビールの味が分かるとかでも無いです。あれはあれで面白い理由があるんですよね、そう言えば。

さて、大人な思考とはなんでしょうか?私は「自分にとって都合の良い落とし所を見つけられるようになる」ことだと思います。良く言えば「ポジティブ思考」、悪く言えば「逃げ」ですかね。

私は(法的に)大人になって10年ちょっと経ちますが、自分を守る方法が分かってきたような気がします。昔は暴言を投げられただけでクヨクヨしていましたが、最近では良いように考えるようにしています。そうしないと身がもたないです。

アンガーマネジメントとか言う言葉もありますが、怒りを鎮める方法の1つになると思います。怒りって基本的に対象に納得行かないから起きる感情です。これも、自分が納得できるように自分を言いくるめれば、発生しなくなると言うロジックです。

これを繰り返し、すべてのことへの怒りが無くなれば菩薩の境地ですね。あれ、菩薩は逃げの達人?

この「自分にとって都合の良い落とし所を見つけられるようになる」って、昔の私だったら「なにそれ逃げじゃん」と尖っていたと思います。とあるドラマのタイトルではないですが「逃げるは恥だが役に立つ」を肯定できるようになったのも割と最近です。ある意味で言えば「何でもできる」と思っていたのかもしれません。そして今の私は「何でもできる訳じゃない」と思っています。昔の私が今の私を見たら「お前もツマラン生き物になったな」と吐き捨てそうです。
でも、それが大人になるということなんでしょう。正直、(今の)私はこの考えを「ツマラナイ」とは思いません。まぁこれも 「自分にとって都合の良い落とし所を見つけられるようになった」結果なんでしょうね。

じゃあ、どうしたらこの考えになるのか。これは一概に言えないと思います。それこそ悟りの世界かもしれません。考えが180度変わるわけですから。ただ、私の中できっかけかなと思い当たることがあります。それは「(身近な人の)死」です。

大学時代にゼミ教授の奥様が亡くなりました。私は奥様との面識はありません。その時初めてお葬式に参列しました。出棺前に棺の中に花を手向けます。順番待ちの際に見えたご遺体はとても綺麗でした。亡くなっていることを疑うくらいでした。順番が来て、私も花をご遺体のそばへ。その時不意に指がご遺体の肌に触れてしまいました。そのときの感触は今でも忘れられません。あぁ、亡くなっているんだと思い知らされました。自然と涙が流れていました。
もう一つ、昔大切な人を病気で亡くしました。会ったこともない人でしたが、私の大切な人です。その人は私に「生きてて欲しい」と言い遺しました。

これ以外の経験もあるのですが、私の中で価値観が変わり始めた大きなきっかけはこれだと思います。今の私はどこかで死を意識していると思います。いや死にたいわけじゃないんです。ただ「いつか死ぬんだろうな」と漠然と思っているところはあります。これは昔には無かった感情です。これに気づいた頃「自分にとって都合の良い落とし所を見つけられるようになる」と言う考えを身につけた気がします。

皆さんが思う「大人になる」ってなんですか?

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